対談: 精神病院依存主義からの脱却

見るに見かねて居場所作りと訪問へ

新居 まだ病院長時代だったので、見るに見かねて精神科からの退院者の居場所づくりとして聖隷敷地内に旧医師住宅を借り受け、ボランティアを集め、私もボランティアとして活動する精神科交流ハウス「虹の家」を作りました。それは違った形で現在まで続いていますが、旧虹の家でもなぜかお膝下の聖隷の精神科スタッフは誰も協力参加せず、一切無視です。夜間救急入院した患者は翌日機械的に指定の輪番病院に転院させられます。私が10年近くみていた患者も、夜間に救急入院したばかりに、翌日、知らないうちに他病院に転院させられて、私とのつながりは切れてしまいました。精神科病棟は、自分の手元にあるのに、私の思い描いていたものとはかけ離れてしまった。私はすっかり嫌気がさしてしまいました。

大熊 日本の精神保健の深刻さを象徴するような、お話です。

新居 入院中に精神病を治すなどありえない。入院は、その人の人生にとって一時の安息、再出発のためのささやかな準備期間、あるいは対人関係の再調整といった意味さえあれば十分ではないか。そもそも精神科病棟の機能は個人にとって極めて補助的なものではないのか。入院生活は長い人生における挿間的な出来事であって、生活の中断でしかない。精神医療においては社会生活を営みながら行っていくのが真の医療ではないか。などなど精神科病棟を横目で眺めながら気づき始めていました。病院長をやめたら今までやりたくてもやれなかった地域の精神障害の患者をサポートするネットワークを作ろう、などと思うようになりました。やめて翌年からACTに触発されて、ボランティアで重度の精神障害者を訪問するボランティアを妻と二人で始め、かんがるークラブと名付けました。このボランティア活動はだんだん活発になり、仲間も増え、私は泥沼的にのめりこんでいきました。それにつれて、今までの精神科医としての常識が、覆されていきます。

大熊 つまり、重い患者を病院ではなくて地域で支える、ということですね。